数カ月前、こんな新聞記事を見つけた。
「バードのアルトサックス2000万円で落札される」
没後50年も経つのに、その男の存在感はいまだに大きいことが伺える記事なのだが、目にとまった人は少ないだろう。
バードとは戦後に活躍した黒人ジャズプレイヤーで、ミュージシャン仲間や音楽関係者から“天才”の名を欲しいままにした人物の愛称である。本名はチャーリー・パーカー。モダンジャズの発展にあって最も貢献した、いや、モダンジャズの創始者とも呼ばれるほどの影響力を持っていた。
音楽の著作権が正当に行使されていれば、彼の懐には巨額の金が入り込んだはずである。しかし即興演奏という独特なジャズの音楽スタイルと、そういうことに無関心だったパーカーの性格ゆえに大金を手にすることはなかった。楽器の違うミュージシャンたちさえもバードの魅惑なフレーズを模作した。
ジャズといえば、日本ではマイルス・デイビスが圧倒的な知名度だが、マイルスもチャーリー・パーカー率いるバンドの一員として、バードの奏でる演奏を傍で聞き逃すまいとしていた一人である。
当時、彼のために「バードランド」というライブハウスさえもできている。名前だけなら聞いたことのある人もいるはずだ。本家ニューヨークのみならず、日本にも同名のお店があったほどだ。曲名にもなっている。
チャーリー・パーカーはミュージシャン仲間からの絶大な人気とは裏腹に、世間一般に広く知られることはなかった。残念なことに一般の観衆にはあまり知られることなく30半ばで他界している。それも、裕福な暮らしを手に入れることなく、知人のアパートで寂しく息を引き取った。1955年3月、死体安置所に置かれた彼の年齢欄には50歳と示されていたという。麻薬とアルコールで身体はボロボロだったのだ。50年分の時間を34年間で費やしてしまったのだろう。
私はその年の夏に生まれた。その20年後にバードの存在を知った。ジャズ喫茶に通っていた学生時代だった。バードの強烈なフレーズに圧倒された。虜になった。バードのアドリブフレーズのほとんどを口づさめるほど聴き込んだ。そしてバードになろうとアルトサックスを買ってきて猛練習を始めた。バードのようにアドリブフレーズを自由自在に吹きたかったのだ。しかし、猛烈なスピードとリズムとハーモニーからなるアドリブを吹くことは不可能であることを思い知らされた。
その後、伝導者になって、人に会う度にバードの音楽の素晴らしさを力説した。ダビングして渡したカセットテープは数知れない。しかし、共感してくれた人はいなかった。ジャズ喫茶のマスターに「パーカーはどうも…」と言われたときにはショックだった。人間不信に陥った。それからは、バードは自分の心の中に閉じ込めた。人それぞれ違うことをようやく悟った。20代の終わりだった。
あれから20年経った。時代は進化して、今やコンピュータで自由に音楽が鳴らせる。サックスだって画面の中の譜面に音符を打ち込めば、どんな面倒な音楽でもできてしまう。ただし、シンセサイザーの音なので、本物のサックスの音色には程遠いけれど。そんなわけで、昔できなかったパーカーのようにバカッ速いアドリブフレーズを打ち込んで今は楽しんでいる。「お父さんのいいおもちゃだね」なんて、大学生になった娘の“ちあり”にからかわれながら。
(バード TAKI)