経済紙の記者をしていたころから数えれば、活字を追う仕事に就いて25年目を迎える。仕事で活字とつき合うようになってからめっきり読書する時間が減った。一日に読める文字数に制限があるようで、ある一定数を超えるとこめかみに痛みが走るようになった(なにしろ左目は失明同然だから、すべては右目だけに負っている)。そんなことだから、仕事が忙しくなるにつれ、1冊読み終えるのに2週間以上も要するようになり、そして、ひと月持ち歩いても読了できないようになった。
別に仕事柄というわけではないけど、毎晩、飲み歩くのが日課で、眠りに落ちるまでの自由時間のほとんどを酒が支配するようになった。気がつくと、そんな毎日が20年以上も続いていた。心配していたとおり身体がおかしくなっていた。γ-GTPの数値が460まで上昇しているのを確認すると、途端に酒が不味くなった気がした。
それがきっかけになったとはいいたくないが、仕事を終えてから寝るまでの数時間、本を読むようになった。当時から比べると活字を追っている時間は減っているとも思えないが、こめかみが痛むようなこともない。
思い返してみれば、学生時代には月に20冊ほど読んでいた時期もあった。何でも構わず手当りしだいに読んでいた。バイトばかりで学校にあまり顔を出さなかったから、罪滅ぼしのような、焦りのような、うしろめたい気持ちがそうさせたのだろうと分析している。今もおんなじで、脈絡もポリシーもなく手当りしだいに読んでいる。まるで溜まった仕事を片っ端から捌くように…。ただし、読んでいるとはいっても、何か上の空は否めない。
実は、3年ほど前からウツの症状がひどくなって、仕事から帰ると脱力感に襲われるようになった。休日は身体を起こすのも面倒。とはいえ仕事はキチンとこなさなければならない。キチンとこなしているつもりでも、だんだんと自分でコントロールできなくなっていくようだった。そんな焦りも読書に向かわせた要因かもしれない。なにせ活字を追う商売、読めなくなったらおしまいだから…(ウツになると本なんか読んでいられなくなるらしい)。
読む本には困らない。なにせ家のあちこちに本の吹き溜まりができているからだ。それを片っ端から手当りしだいに読み続けて半年、しかし本の吹き溜まりはなかなか小さくならない。かみさんが読みもしないのに毎月せっせと買い込んでくるからだ。月に15冊消化すれば、かみさんは負けずにいつの間にか補充している。
冷蔵庫も同じ状態で、料理なんか滅多に作らないのに食べきれないほどの食料を買い込んでいる。それを処理するのは私である。正味期限をチェックしながら1週間先まで献立を考えてみるが、10人家族だとしてもゆうに有り余るほど。冷凍庫などは隙間もない状態で、うまくパシッと閉まらない。買い置きコーナーには醤油、みりん、味噌、料理酒が各3本、その他、すべてにおいて重複している。どう考えても期限内に消化できる分量ではないので、毎週、生協の申込みシートに記入する際に、言い含めるように「一週間で食べられる分だけ注文しなさい」と念を押すが、守られたことはいまだにない。
先日、帰りの電車で愕然としてしまった。手にしている本が3ヶ月ほど前に読み終えていた本だと気づいたからだ。同じようなことを書く人がいるものだ、などと思いつつも、あとわずかで読み終わろうとしていた。こりゃボケたな、いや、もともと真剣に読んでないからか…。しかし、おかしいなあ…。
家に帰っていくつかの吹き溜まりを整理すると、なんと同じ本がもう1冊あった。神経衰弱よろしく、同じ本が何ペアも見つかる見つかる。しかもワンペアだけでは心細いというのか、醤油・みりんじゃあるまいし、スリーカードさえもあった。……笑うに笑えないリアルな生活。かみさんは同病の大先輩。こんな毎日がいつまで続くのだろう。