家に帰ると、すぐに横になってぐったりしてしまう。食事の用意をしなければならないんだけど、お腹も減らないし、酒は控えているから、その気が起こらない(かみさんはとっくに風呂と食事を済ませて、コタツでうたた寝をしている)。かといって、先に風呂に入る気力も出ない。服を脱ぐのがまず面倒だし、体を洗う労力は半端じゃないから疲れるし、体は濡れるから上がったら拭かなければならないし…。
まだ8時前だから、このまま眠りにつくこともできない。11時にはバイト帰りの娘を駅まで迎えに行かなければならないので、風呂から上がってもパジャマに着替えるわけにもいかない。11時までの3時間が途方もなく長く感じる。
やるべきことの細々を後回しにして、とりあえず枕許にある小型ラジオのスイッチを押す。このラジオ、かみさんが娘を出産するときに買い与えたヤツだったことを思い出す(あの頃は安アパートで貧乏生活していたな。あれからもう20年か…。この間成人した)。今は私の、眠りへの導入せん、大切な命綱的存在。そいつはいつも私の枕から半分だけ黒い体が覗いている。
この命のラジオ、90分経つと自然にスイッチが切れるようにできている。NHKテレビも入る優れモノ。音声だけのテレビもオツなものだ。けっこう聞き逃してしまいそうなアナウンサーの言い間違いに突っ込みを入れたりして楽しむ。「明日の試合はセルビア対モンテネグロ戦ですね〜(セルビア・モンテネグロというのが一つの国名)」「明日の天気はくもりが遮られた日ざしになるでしょう…(どんな天気だ?)」悠長な声で言ってのけるが、聞き逃さないぞ。
その日、身動きする気力もまだ起きず、うす暗い部屋で消したばかりの電球がほのかに白く浮き上がるのをぼんやり眺めていると、ラジオから流れてくる年季の入ったおばさんのハキハキした威勢のいい声が、しぼみそうな私の耳に襲いかかってきた。
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子育てを終え、50代初めにセカンドライフとして陶芸に打ち込む。田舎暮しで悠々自適の毎日を送っていた。彼女はそれまでの人生、様々な社会活動に精をだし、好きなことをやって、ほとんど思いどおりに歩んできていた。病気一つしたこともなく、老いを感じたこともなく闊達に行動していた。これからの人生も変わりなく順風満帆に思えたことだろう。
それが60を迎えたある日、一転して「突然老」を実感することとなる。乳がんの発症(摘出)と同時期に、母親の介護(寝たきり5年)、そして自身の交通事故(瀕死の重症で、歩けるようになるまで1年半)と不幸がたたみかけるように起こる。もちろん陶芸どころではない。歩くこともままならないし、座ることさら苦痛で、立ったままの食事。自分がそこに居るだけで邪魔な存在だと実感する。枝振りのいい木を見るにつけ死にたいと思うようになる。なるべくして鬱にもなる。
彼女にとって、おそらく人生ではじめて経験する挫折だったに違いない。女権論者として国会議員まで目指したり、バリバリ存在感を発揮してきただけに、この運命の仕打ちに完全に打ちのめされたようだ。自分の存在意義が見いだせない=生きている価値がない、これが鬱の根っこにあると思う。結局、鬱は4年を要して治まるのだが、後になってしみじみと語る。「仕事(活動)を生き甲斐にしてきた人間にとっては、仕事(活動)でしか癒されない」と。
復活を遂げるまでのエピソードが語られる番組なのだが、一つだけ紹介しよう。乳がんで乳房を失い、また再発を恐れ、隠れるように暮らす同病の知人のために、ホームページで「一緒に温泉に入ろう、みんなで入れば恐くない」と呼び掛ける。たちまち400人が集まる。しかし、呼びかけた本人こそが、実は人前で湯舟に入れなかったのだ。そのことに気づいた仲間の配慮がまた素晴らしかった。この患者の会の親睦を通じて、「人を助けるためにやってきたことが、いつの間にか自分が仲間たちに助けられていた…」と気づかされる。
70歳になった現在、「人生の第3幕は、人に感謝して人のために生きよう」と彼女、俵萌子は別人のようになって語っていた。
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辛苦をなめてきた人の言葉には、説得力がある。「人のために生きる」なんて、誰でも簡単に口にできてしまう言葉だけど、そもそも自尊心や自己顕示欲の強い人には不釣り合いな言葉ではないか。人のためを言う前に、そのどうしようもない自分自身をどうにかしろよ、なんて自分に呟いたりする。
それから、「感謝する」ことってほんとに難しいと思う。いろいろ面倒みてもらって当然、むしろ足りないくらい…。一方では感謝されて当然、こちらも足りないくらい…。お互いに、足りないと思っているから心が不機嫌になる。みんな自分を何様だと思ってるから…。「感謝のない生活はストレス病を生む」うまいこと言った人がいたな。そのとおりストレス病になって自ら証明している。
ラジオを聴き終えたら、お腹がぐう〜と鳴った。隣の部屋からかみさんの鈴虫のようないびきが聞こえてくる。私はよいしょと起き上がってキッチンへと直行した。
(taki)