家にいるときは、ほとんどTVを観ない。1週間におそらく1時間程度だと思う。よく観た時期もあったが、連ドラなんかにハマると続きが気になって、ついつい見続けてしまうので、いつの頃からか、また観なくなった。
今はいつもラジオをつけっぱなしにしている。昔はFMをよく聴いたが、ここ数年はもっぱらNHKの第1か第2である。朝6:50にタイマーセットされたラジオで目を覚ます。布団の中でもごもごしながら、天気予報を聴く。関東地方の天気と交通情報のところになると、多少意識を集中して聞き耳を立てる。それによって寝惚けたアタマに血が流れ込んでくる。
続いて、ニュースを聴きながらひげを剃ったり、パンを焼いたり、コーヒーを淹れたりする。胃に食べ物が入ると今度はそちらに血が移動する。そこで朝の一服をする。せっかく開きかけた血管や身体中の管がニコチンで収縮する。それで、直腸付近に○×△の存在感を意識させられる。朝のお勤めを済ませて、ご不浄から出ると、ラジオは魚や野菜、花の市況と価格を伝えていたりする。ふむふむと半分聞き流しながら、スイッチを切って出勤する。
もちろん、仕事中にラジオは聴かない。
家に戻ると、またラジオをつける。その日によってやっている番組は違うが、いつ何をやっているかは、おおかた把握していて、株式市況と気象通報の時間にはNHK第2に周波数を合わせる。株式市況を常にチェックして、金儲けを企てているわけではない。あれは、なぜかお経のようで心が落ち着くのである。まあ、多少は世の中の動きを知るには役に立っているかも知れないし。
気象通報は、もう少し熱意を込めて聴く。ハバロフスクやウラジオストックの気温や気圧を知ってどうするのか、と問われればそれまでだが、「へえー ほうー マイナス30度か」などと独り言を発しながら聴くのである。他にも、「浪曲十八番」や「真打ち競演」などがお気に入りである。なんか爺臭いようでもあるが、巧みな話術を聴きながら人情モノには胸を詰まらせたり、落語の落ちにはげらげら笑ったりする。
平日は寝るときに「深夜便」という朝5:00頃までやっている番組を聴きながら布団に入るが、たいていは30分ほどで眠りに落ちてしまう。
時たま寝れないときや、週末で夜更かししても大丈夫な夜は、かなり遅くまで聴いてしまうこともある。番組はなかなか充実していて、外国に住む日本人を通信員みたいにして、その国で話題になっていることなんかをレポートする。また、日本中の農業・林業・漁業に従事している人たちから、暮らしの便りみたいなものを語らせる。これはその道の達人たちを巧妙に選んでおり、木訥な語り口がなかなか良くて聴き入ってしまうのである。選挙を控えた政治屋さんたちのウラ・オモテのある語り口とは違う、地に足の着いた生活をしている人たちの言葉は説得力があって面白い。
さらに起きていると、音楽の時間がやってくる。僕の好きなJAZZ特集だったり、美空ひばり特集だったり、1時間ほど、その日の特集歌手の曲をエピソードを含めて6、7曲はかけるだろうか。中にはレアな音源もあったりして興味深い。これがきっかけになって聴き始めた音楽もある。また、月に1曲か2曲、その月の歌というものがあって時間がくると毎晩かける。今は小林旭が作詞・作曲した曲がかかっているが、小林旭を深夜に生出演させて、その曲について、いろいろ語らせたりする。有名な人も、昼間と違って何だか、ちょっといい感じで力が抜けていて意外な面を垣間見せ、これがまた、なかなか面白い。
週末だとそんなことをしていると、空が白み始めてしまうこともある。もちろん膝を正して、ラジオを聴いているわけではなくて、しなくてもいいことをダラダラしながらであったり、ぼんやりしながらである。
TVだと画面から目を離せずに動けなくなってしまうが、ラジオは耳に入ってくるものを、内容によって注意深く聴いたり、流して聴いたりすることができて、ながら族には都合がいい。また、耳に入ってくる音声や肉声を頭の中で映像化する余地がある。
「音の風景」なんて番組があって、長良川の静かな川の流れの音を聴かせたり、築地市場の競りの騒々しいざわめきを聴かせたりする。そういうのを聴いていると、訪ねたこともある長良川の川面が脳裏に蘇ってきたり、どこだかに旅行したときに見た朝市を思い出して、あんな感じか…と、もう一度頭の中に再構築された景色が浮かび上がったりする。
今これを書いている最中もラジオを聴いている。「ラジオ文芸館」という番組で、文芸作品の朗読を聴かせる。これを聴くと、週末もいよいよ終わりだなあと感じる。サザエさんのようなものである。しかし、これだけ国営放送を聴いていると、サブリミナル・メッセージなんかが入ってたらすっかり感化されてしまうかもしれない。そういや、僕はずいぶん真面目に受信料を払っているな…昔からだけど。
さて、明日からまた仕事です。
(大)